仲間外れ感、疎外感について(5)~到達点 | エフ カウンセリングオフィス

仲間外れ感、疎外感について(5)~到達点

                                       

(前回の続きです)
自分の本心に蓋をして、仮面をつけて集団の中に再び入り込む。
そうすることで見えてきた、そこにいる人々の苦痛の表情・・・。
もしかしたら仮面をつけていたのは自分だけではないのかもしれない。
そんなことに気が付くのです。
あれほど「同化」したいと望んでいたはずの「集団」がとても息苦しいものに感じられてきます。
自分がこれほどまでに仲間になりたいと思っていたはずの「彼ら」。
確かにまたこうして「仲間」になることができました。
でもそれは、安心して信頼できる「仲間」ではありません。
なにか<わけ>があって自分の心を封じ込めなければならなかった「仮面仲間」にすぎません。
つねに気を使わなければなりません、お互いに。
そうしなければ「隠しておかなければならない本心」が表に出てきてしまうからです。
お互いにそれは避けたいのです。
その点では価値観が一致します。
そういう意味では「同志」です。
問題は、いつまで「そこ」を自分の場所として居つづけるのか、ということです。
言い換えると、いつまで自分の本当の心が、その息苦しい場所にとどまっていられるか、ということです。
人間の身体は呼吸を必要としています。
心もそうです。
心も「呼吸」を必要としています。
心が呼吸をするとは、自由に感情を出す・感じるということにほかなりません。
本心を隠したところで、感情を抑えたところで、いつまでもそれを続けることは不可能です。
遅かれ早かれ、形を変えて表に噴出してきます。
なぜなら、身体が「生きること」を指向するように、心も「生きること」を指向するからです。
頭で考えるのが得意だからと言って、感情をすべてコントロールできるとは限りません。
仮にコントロールできたとしたら、「頭」は疲れ果ててしまいます。
なぜなら「頭」が一番喜ぶのは、「心」と一緒になって働くことができること、だからなのです。
頭と心の調和が取れた時、人はストレスなく最高のパフォーマンスで動けるのです。
そのことを「本当の自分」は知っているのです。
だから仮面をつけたままで元の集団に再び戻っても、ある時、ふと「そこ」を離れよう、
という気持ちが湧いてきます。
今度は自分の意志で「そこ」を離れるのです。
それは具体的にその集団から抜けるという事とは限りません。
集団に属していながら、今までの仮の自分から本物の自分に変身を遂げるということです。
「本当の自分」に気が付けば、周囲と上手くやっていくための術(すべ)はいくらでも思いつくものです。
頭と心がタッグを組めば、そういうことができるのです。
(それを世間では「処世術」と呼ぶこともありますね。)
仲間外れにされた、疎外感を感じた。
それは決して悪いことばかりではないのです。
本当になりたかった自分、探していた自分の本心。
そんなものを見つけるためのプロセスともいえるかもしれませんね。
(このテーマ、最後までお読みいただきありがとうございました。)    


カテゴリー: 03.孤独感・疎外感
Posted on: 4月 3rd, 2013 by エフ カウンセリングオフィス No Comments