「心配」の裏に隠されたモノ | エフ カウンセリングオフィス

「心配」の裏に隠されたモノ

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ある種の母たちにとって子供の「失敗」は(子供の)成長の証(あかし)ではなく 「心配」の種でしかない、
以前の記事でこんなことを書きました。
娘を心配する母というのは本当にいろいろなことを、これでもか!というくらい「心配」します。
娘がなにかを「失敗」すると、それを黙って見ていることができません。
見守るということができないのです。
見守るということは、ある意味とても勇気がいることです。
次もまた失敗するかもしれない、でも、手も口も出さずに本人に任せよう・・・。
こういった考えが、心配する母たちにはとても恐ろしいモノのように映るんですね。
彼女たちはあたかも<娘の失敗は自分の失敗>とでも思っているかのようです。
そんなことなど本当はこれっぽっちもないのですが・・(笑)
娘と自分との境い目が曖昧になっっているんですね。
この母たちの心情を「愛情」と考える見方もあります。
そのような見方を批判する気はありませんが、私は別の見方をしています。
では、母が「自分の娘が失敗しないように心配する」ということを注意深く見ていきましょう。
この母にとって「失敗」の基準は一体どこにあるのでしょうか?
もしあなたが「心配されてきた娘」であるなら、ちょっと思い出してみてください。
どんな場面で心配されましたか?
あるいは、どんな失敗を注意されましたか?
それは地球がひっくりかえってしまうような「大事件」でしたか?
そんなことはなかったはずですよね(笑)
もちろん、他人に迷惑をかけたとか、そんな失敗もあったかもしれません。
でも、どんな失敗も「執拗に」延々とお説教をされるような必要は無かったはずです。
なぜならあなたは自分でわかっていたはずだからです。
「あのやり方をしたから失敗しちゃったんだよね。
次からはこのやり方でやってみよう、気をつけよう」こんなふうに。
お母さんからくどくどと言われなくとも、あなたは自分で考えることができたんです。
そうではありませんでしたか?
では、なぜ、お母さんはあなたを「そっと見守る」ことができなかったのでしょう?
どうして、常にあなたのことを心配していたのでしょう?
それは・・・ある種の<依存ともいうべきもの>がそうさせたからなんです。
ちょっと意外に感じる方もいるかもしれませんし、説明も必要ですよね。
そして「依存」という言葉のイメージは人によってさまざまだと思います。
ですので、このメール講座で取り上げていく「依存」という重要なテーマについては 次回以降にとりあげていきますね。  

注:この記事はメール講座(すでに終了)からの一部抜粋です


Posted on: 4月 17th, 2013 by エフ カウンセリングオフィス No Comments