寂しさを埋める | エフ カウンセリングオフィス

寂しさを埋める



あなたはどんなときに「寂しさ」を感じますか?

私はというと、そうですねえ、やはり一人でいる時でしょうか。
誰かと一緒にいる時にも感じないわけではありませんが、その人との対応に意識がいってしまって、
寂しさを感じる暇がない、というのが正しいかもしれません。
いま、このメール講座の文章をパソコンで打っているわけですが、部屋の中には私一人だけです。
やっぱり寂しい感じがしますね。
誰も文章を考えて打つのを手伝ってはくれませんしね(笑) ふと考えてえてみると、
私は一人でいる時にはよく「あること」をしているんですね。
家の中でも、外にいる時でも。 なにかと言いますと・・・・
(大したことではないのですが) コーヒーを飲んでいる・・・のでした。
かつてACであったとき、私はいつも寂しく不安で、仕方がありませんでした。
四六時中、「寂しい&不安」がセットになって、自分の周りにまとわりついているような感じがしていたものです。
人と一緒にいても、払拭することのできなかった「寂しさ」がありましたね。
それを何かで埋めようと、必死になって探し回りました。
音楽にのめり込んでいったのも、そう言った経緯があるような気がします。
なにか「寂しさ」がとてつもなく怖いモノに思えたのでしょうか。
その恐怖が不安をあおっていたのかもしれません。
なぜか「一人」でいると、その寂しさとか恐怖とか、不安などがふくらんで行ってしまうような、
そんな感じにもとらわれていました。
実生活の面でも、すんなりと集団になじめず(これは今でもそうなのですが・苦笑)、
輪の中ではなく、 ちょっと離れたところにいるような、そんな人間でした。
そんな「寂しい」自分でいることが、ダメ人間の証であるようにも感じていました。
寂しさは悪だ! というような感覚ですね。
ですから、その寂しさを埋めるものを一生懸命に探し続けたわけなんです。
で結局、探し当てられたの? と、結果が気になりますよね。
いきなり結論を言ってしまいますと・・・・。
「私には、寂しさを埋めるものは見つけることができなかった」んです。
なぜなら、「途中で探すことを放棄した」からなんです。
もっと言ってしまうと、探す必要を感じなくなった、からなんですね。
<寂しさ>と一口に言っても、いろいろな種類の寂しさがあると思います。
人によってそれぞれですから・・・。
そして、一人の人間の中にも、いろいろな種類の寂しさが混在していると思うんです。
あなたの中にはどうですか?
私の中にも、いろんな寂しさがありますよ。
たとえば、クライアントさんが元気になってカウンセリング終了! 
となった時。 私は一抹の寂しさを感じます。
でもそこには、「寂しさ」という言葉一つでは表現しきれない、
いろいろな感情や出来事がたくさん詰まっているわけなんです。
もしかしたら、その中には今の自分を支えてくれていることが含まれている可能性もある…。
自分の経験からすると、あとになってそう思えることがたくさんあったんですね。
ですから、この「寂しさ」を「寂しいのは悪い」と簡単に片づけてしまっていいはずはありません。
もちろん、寂しいという実感は確かに相変わらず存在し続けます。
でも、その実感は、他のもので置き換えて埋めるべきものではない・・・。
そんなことを私は、いつからか感じるようになったのです。
なにかの映画のスト―リーを考えてみてください。
どのシーンも、その映画にとっては重要なエピソードであるはずです。
どこかのシーンが欠けても、話が分からなくなってしまいますよね?
人生における寂しさの体験も、そんなものに近いような気がするんです。
その寂しさの背後にあるいろいろな感情や出来事・・・。
もちろん、「とても楽しいこと」からは程遠いモノであるかもしれません。
でも、自分の一部であることに代わりは無い・・・。
だとしたら、寂しさとは「別のもので埋める」べきものではないかもしれない・・・。
そう私には思えることがあるのですね。
その寂しさを想うとき、私はコーヒーを手にするのです。                         
砂糖は入れません。
この苦さがいいんです。
コーヒーカップの重みをも右手に感じ、口の中に広がる苦みを感じる。
それと同時に寂しさも実感する・・・。
誰のためでもない、それは自分のための大切な時間です。
生きているという実感を味わっているわけなんです。  


Posted on: 5月 23rd, 2013 by エフ カウンセリングオフィス No Comments