執着を手放すって・・・?(7)想いの再結晶 | エフ カウンセリングオフィス

執着を手放すって・・・?(7)想いの再結晶

★執着を手放すって・・・?(6)残る想い・の続きです  

手が届かない、手に入れることができない・・・。
そんなことはわかっているけれど、やっぱり諦めきれない。
「執着」する。 そして、そこには執着することの苦しみがあった・・・。
だから、執着を手放すことを試みた。
七転八倒の末、ようやく諦めがつく。
あるいは、ある種の絶望・・・。
そうしてようやく執着を手放すことができた。
あるいは「気が付いたら執着を手放していた。」
ところが、それでも<残る想い>がある。
なぜなら、自分にとって大切なものだから・・・。
☆  ☆  ☆  ☆  ☆
このテーマでずっと書き綴ってきましたが、そもそも執着するというのは「悪い」ことなのでしょうか?
執着するのが悪いのではなく「苦しい」から悪いのだ、だから止めなさい。
こんなふうに、一般的には当たり前のように言われているような気がします。
苦しいということは、悪いことなのでしょうか?
何が何でも排除すべきものなのでしょうか?
苦しさがない人生が「目標」なのでしょうか?
苦しさが無く楽しさだけで出来上がっている人生があるとしたら、それは「効率的」なのでしょうか?
こんな疑問が湧いて出てくるのは、私だけではないはずです。
苦しくなるのがわかっていながら執着してしまう、一旦は手放したはずなのに再び執着してしまう。
無駄な行為に思えるかもしれない、無断な時間を費やしているように感じるかもしれない。
でも、それでもいいのではないか・・・。
私はそう思うのです。
なぜなら、その無駄に思えた苦しい行為のおかげで、
自分にとってなくてはならないもの=大切なもの=がわかったからです。
手に入る・入らないは問題ではありません。
自分の人生において重要だと思えるもの、それがわかったということは、
自分の生き方が見えてきたという事ではないでしょうか。
進みたい道が、目の前に現れてきたということだと思うのです。
執着の苦しみを何度も繰り返して、それでも消えずに残った想い。
それは一つだけとは限りませんよね。
たくさんあるはずです、自分の中に。
人でも物でも、あるいは手に入れることのできなかった夢でもなんでも・・・。
自分の手元には目に見える形では残らなかった。
でも「想い」として残っている。
食塩水は水と食塩からできています。
これを火にかけて水を蒸発させると、食塩の結晶が残ります。
残った食塩に再び水を注ぐと、また食塩水が出来上がります。
もう一度火にかけて蒸発させる、食塩の結晶が残る・・・。
この作業を何度も何度も繰り返すと、結晶の「純度」が高くなっていきます。
混じりけのない、ゴミとか汚れのない「キレイで純粋な」食塩の結晶が出来上がるのです。
執着という作業を何度もくり返して、最後の最後に残った「想い」というものも、
この食塩の再結晶に似ている・・・。
その思いは「その人」の存在を支える大切なものだと思うのです。
自分が自分でいる証、他の誰でもない証拠。
それは、形がないから決して壊れることはありません。
自分の存在を支えてくれている「想いの再結晶」ともいうべきものは、
誰からも侵されることがありません。
これが、執着の苦しさを味わってでも本当に欲しかったもの、かもしれませんね。  

★最後までお読みいただきありがとうございました。    


【参考記事】
執着を手放せない~(1)その大切な意味
執着を手放せない~(2)執着の中身をのぞいてみる
執着を手放せない~(3)執着が消える瞬間
執着を手放すって・・・?(1)諦められない!
執着を手放すって・・・?(2)手放す努力
執着を手放すって・・・?(3)捨てられないもの
執着を手放すって・・・?(4)希望
執着を手放すって・・・?(5)自由時間
執着を手放すって・・・?(6)残る想い
執着を手放すって・・・?(7)想いの再結晶 ※この記事です
執着との訣別
執着の行きつく先は・・・(1)苦しみの正体
執着の行きつく先は・・・(2)私に欠けているモノ    

執着の行きつく先は・・・(3)パズルのピース 
執着の行きつく先は・・・(4)悪夢から目覚める


Posted on: 6月 1st, 2013 by エフ カウンセリングオフィス No Comments