見捨てられるかもしれないという不安感 | エフ カウンセリングオフィス

見捨てられるかもしれないという不安感

                     

小さな子どもにとって、お母さんというのはとても大きな存在ですよね。
赤ちゃんのころはもちろんのこと、物心ついたころから、幼少期、青年期、そして成人した後も・・・。
お母さんが笑って自分を見てくれている。
それだけでも「安心」できるものです。
たとえ特別な言葉をかけてくれなくとも、そこに笑って座っていてくれるだけでいい。
お母さんが私の存在を「ただ受け止めてくれている」それだけで十分なのだから・・・。
そう思える人はどれだけいるでしょうか?
あなたはどうですか?
たとえば、あなたが何か失敗をやらかしてしまった時・・・。
ニッコリと笑って、ただただ受けとめてくれる人がそばにいてくれたら、とっても気が楽になりますよね。
でも、怖い顔をして睨みつけられたり、キツイ言葉をかけられたりしたら・・・。
萎縮してしまいますよね。
そして、失敗したことを悔やみます。
なんでこんな失敗をしてしまったのだろう。
何で私はバカなんだろう。
こんなふうに自分を責めてしまっても不思議ではありませんね。
自分が「悪い子」になってしまいます。
お母さんのご機嫌が悪いのは、自分が「悪い子」だからだ。
そんな「公式」ができあがってしまいます。
そして、なんとか「良い子」になろうと努力を始めます。
なぜなら「良い子」でないと見捨てられてしまうかもしれないからなんですよね。
お母さんの存在は大きいです。
そのお母さんに認めてもらうことは、子どもにとって人生を左右するほどの一大事です。
こうして「見捨てられるかもしれない」という恐怖と隣り合わせになりながら、「良い子」になる努力を始めます。
ここで必要になってくるのが、良い子の「基準」です。
どうなれば「良い子」として認定されるのか。
「良い子認定」されるために頑張ります。
その認定基準は、お母さんの「ご機嫌」だったりします。
だからお母さんのご機嫌を取るようになっていきます。
顔色をうかがい、身振り手振りを観察し、言葉の裏まで読み取り・・・。
「お母さんのご機嫌をそこねていないだろうか?」とつねにチェックするようになっていきます。
それはとても不自然で、息が詰まるようなことですよね。
でも、見捨てられるよりマシなのです。
ここで問題になってくるのが、この「基準」がコロコロ変わるという事なんですね。
たとえば、お母さんのご機嫌なんて、法則があって決まるようなモノでもありません。
気分によっていくらでも変わるわけです。
推測することはできません。
そんな不確かなものに自分の行動を合わせようとすることの不毛さ。
そこにこ気が付くことができた人は幸せです。
まずは気が付くことが大切なんですね。
気が付けば、この悪循環を変えることはできます。
「見捨てれれるかもしれないという不安感」の正体もわかってきます。
正体がわからないから怖いんです。
わかってしまえば、怖くなくなります。


Posted on: 6月 6th, 2013 by エフ カウンセリングオフィス No Comments