聴いてほしいのに・・・ | エフ カウンセリングオフィス

聴いてほしいのに・・・

                   

自分のことをわかってほしい、理解してほしいと思うのは自然なことだと思います。
だから、誰かに自分の話を聴いてもらいたいと思うのですよね。
その誰かとは、親であったり友達であったり、はたまたパートナーであったりします。
でも、でも・・・。
「聴いてもらっている感じがしない」
そんなことはないでしょうか?
たとえば、ただ聴いてほしいだけなのに、いつのまにかお説教されている、
などということはないですか?
意外とありますよね。
ちょっとだけ愚痴を言いたかっただけなのに、思いっきり怒られてしまったとか。
こうすればよかったのに、とか、だからあなたはダメなのよとか、
そんなことを言われてしまうと傷口に塩を塗られたような気分になってしまいますよね。
あるいは、自分のことを話していたつもりが、いつの間にか話題の中心が相手に移ってしまっていた、
な~んていうこともよくありますね。
自分の恋の悩みを聞いてほしかったのに、なぜか逆に、
いつの間にか友達の恋の悩みを延々と聞かされてしまっていた・・・
そんな経験がおありの方も多いのではないかと思います。
「ただただ聴いてもらう」ということは、それほど難しいことなのですね。
逆を言えば「ただただ人の話を聴く」ということが、いかに難しいかということなんです。
自分の意見を相手に押し付けることなく、自分の感情を相手にぶつけることもしない。
そんな状態を保ったまま、相手の言うことに神経を集中させる。
これは確かに難しそうです。
自分の気持ちが乱れているときにはとてもできそうにありませんよね。
いつも冷静沈着で、心の平静さを保っていることのできる人。
そんな人ならば、<いつでもどんなときでも>相手の話を「ただただ聴くことができる」のかもしれません。
そころが、そんな人って、どこにでもいるものでしょうか?
少なくとも私の周りを見渡してみても・・・
残念ながらそんな聖人君子のような人は・・・
いません。
(もちろん私も含めて、です。)
では、あきらめたほうがよいのかというと・・・そうではなさそうです。
なぜなら、人の気持ちとか感情とかいうものは一瞬一瞬で変化しているからなんですね。
だから、さっきまでは気持ちに余裕がなかった人も、
次の瞬間には心の余裕ができている、ということも起こりうるわけなんです。
聖人君子でなくとも、ある瞬間には冷静になることがきて心の平静が訪れる、
そんな可能性もあるわけです。
そんな人のそんな瞬間にに出会うことができたならば、
それは「自分の話をただ聴いてもらえる」瞬間でもありますよね。
「聴いてもらえなくて当たり前」 「でも、聴いてもらえることもあるかもしれない」 このくらいに考えておけば、
「ああ、また聴いてもらえなかった・・・」と、がっかりする必要もなさそうです。
「聴いてもらえる」可能性もあるからです。  
そして自分以外の人をよく見てみると、実は、みんながみんな自分のことを
聴いてほしいと思っているのだ、ということにも気がつきます。
お互い様なんですよね。
いっそのこと、かわりばんこで「相手の話を聴いてあげる時間を作る」のもいいかもしれないですね。
<話の途中で口を挟まない>
<どんな内容でも決して説教をしない>
<話題をすり替えない>
などなど、ルールを決めてやってみるのも一考ではないかと思います。
そのためには、まずは「相手の話を聴いてあげる」勇気(?)のある人が、増えるといいですよね。
そうすれば「聴いてもらえた」人が増えていくわけですから・・・。
「聴いてもらえた人」が「聴いてあげる人」にもなることができれば、少しずつ状況が変わっていくような気がします。
「聴いてほしいのに・・・」と嘆く人が少しでも減っていけばいいのになと思いますが、
これって難しいことなのでしょうか?
私は最近、こんな疑問にとらわれています・・・。      


Posted on: 8月 9th, 2013 by エフ カウンセリングオフィス No Comments