努力を手放す勇気 | エフ カウンセリングオフィス

努力を手放す勇気

                             

最近、「努力」という文字を見ると、なぜかどっと疲れが押し寄せてきます。
努力することを否定も批判もするつもりはないのですが、なにか違和感があるのです。
なぜかと考えてみたら、それは私自身が「不自然な努力」をしてきたから、
ということに気がつきました。
「これは本当に自分がやりたいことなのだろか?」
こういう問いかけをせずに、自分に向き合うことなしに、目の前のことに熱中してみる。
努力をしてみる。
<努力をすればなにか結果がついてくる>
そう自分に言い聞かせて邁進する。
<こんなに頑張っているのだから良いことが起こるに違いない>
そんな思い込みすら湧いてきていたのでしょう。
ところが、良いことなんて起こるはずもないのでした。
なぜなら、「努力」だと思っていたことが「虚しさを埋めるための作業」に過ぎなかったからです。
自分が本当に欲しいもの、やりたいこと、心の底から望んでいるものが何か?
その答えを探すことなく見返りだけを求めた・・・。
一生懸命やっているつもりが、一番大切なことが抜けているのです。
そもそも何のためにこの努力をしているのか、そこを見ないで誤魔化している・・・。
頭では「この努力をすれば見返りがあるよ」と納得はしているのです。
ところが、心のどこかに「不安」が付きまとうのです。
結果が手に入らないかも知れないからです。
というより、そもそもどんな結果が欲しいのかもわかっていないわけです。
「これは本当に自分のやりたいことなのだろうか?」
この大切な問いを放置したまま、ピント外れの努力をすることの滑稽さ。
やっている本人は「不安」に飲み込まれて苦しい以外のなにものでもありません。
でも、耳元でささやく声が聞こえてくるので止めるわけにはいきません。
それはこんな声です。  

●努力しなければならない。
●努力できる人間が成功するのだ。
●楽しないで努力しろ。
●努力をしないと罰が当たる。
●努力することは素晴らしい・・・!
などなど・・・。  

体も気持ちもついていかなくなって苦しいのに、まだまだ努力を続けてしまいます。
でも、いつかは破たんします。
心が折れます。
体が動かなくなります。
私が、そうでした。
そして、動けなくなって初めて気づくのです、「違う」と。
自分に嘘はつけません。
自分という存在は、嘘をつかせてくれないのです。
努力をしていて苦しみしか感じられないようならば、ちょっとストップをかけてみてはいかがでしょうか。
本当にやりたいことをしているときの努力は、「楽しさや喜び」をともなったものであるはずです。
いえ、それはもはや「努力」ではなく「創意工夫のエネルギー」です。
苦しいだけの不自然な努力を手放したとき、一瞬、空虚さが訪れるかも知れません。
すべてなくなってしまったかのような空虚さ。
でも、それを恐れることはありません。
なぜなら、自分にとって必要ないものが目の前から消えてくれたということだからです。
これで、本当に必要なもの・欲しいものが心ゆくまで探せるのです。  


Posted on: 10月 4th, 2013 by エフ カウンセリングオフィス No Comments