予測がつかないので将来が不安です | エフ カウンセリングオフィス

予測がつかないので将来が不安です

                   

先が見えないことが不安で不安でしょうがない・・・。
この思いに、昔の私の頭の中は占領されていました。
5年後、10年後、あるいはずっとその先の将来を、考えるだけでも不安になったものです。
何年も先のことはもちろん、今日一日のことですら不安でしょうがない・・・。
たとえば、友達と会う約束があるとしましょう。
そうすると、どんな会話をすればいいのかということが頭の中に浮かんできてしまって
落ち着かなくなってしまうのです。
「シナリオ」どおりに物事が進んでいかないと安心できないのです。
なんとしても安心したい。
そのためには自分で「シナリオ」を作ってしまえばよいのだ、と気がつきました。
そうして私は手当たり次第これから起きうることを想定して、
自分の言動を「計画」することに没頭しいきました。
ところがここで困ったことが出てきます。
それは、自分の希望を盛り込んで計画を立てたところで、
実際には計画どおりになんて進むわけはないということです。
計画と現実のギャップ・・・。
これは私にとってはこの上なく恐ろしいモノでした。
がっかりしたくない、落胆するなんてまっぴらだ。
それを避けるにはどうすればいいだろう・・・?
そこでまたまた妙案を思いつきます。
最悪の場合を想定してしまえばよいのだ、と。
今から思うと本当に滑稽なのですが、当時の私はそれはもう真剣でした(苦笑)
「不幸のシナリオ」・・・これを実行するのは簡単です。
上手くいかないことをやればよいだけですから。
失敗してもいいのです。
むしろ失敗することが「シナリオを遂行」することになるわけです。
幸せを手に入れるよりも数百倍、気軽(?)にできるのでハードルは低い・・・。
こうして私は不幸を志向することに邁進していってしまいました。
チャンスが目の前に現れても、それをつかむことはご法度です。
なぜならシナリオには載っていない想定外のイベントだからです。
仮にチャンスを自分のものにしたとしても、その幸運が永遠に続く保証はどこにもない。
だったら最初からそんなものは手に入れずにいたほうがよい。
そうすれば「がっかり」することもない。
そんなことを続けていくうちに、不幸でいることが当たり前になっていきます。
でもそれでいいのです。
シナリオどおりに事が進んでいるという「安心感」が手に入るわけですから。
こうして私は「運命」をコントロールするという「麻薬」におぼれていったわけです。
ところがある日、限界が来てしまいました。
自ら手放して闇に葬ってしまったチャンスの数々が、亡霊のように目の前に現れてきたのです。
逃がした魚は大きい、ということわざがありますが、まさにそうでした。
運命をコントロールすることに夢中になった代償は、あまりにも大きすぎました。
時間を巻き戻すことはできません。
失ったものは2度と取り戻すことができないことに気がつき愕然としました。
手に入れたと思っていた「安心感」も一瞬にして、全部どこかに吹っ飛んでいってしまいました。
こうして私はやっと気がつきました。
運命をコントロールすることの不自然さ。
それは「人生」の本質とは対極のものであるということなのです。
生きるということは変化の連続です。
変化があるから「生きている」のです。
そして変化を完全に予測することはできません。
なぜなら、見えていること、聴こえていること、感じていることは、
自分を取り巻く世界のほんの一部分にすぎないからです。
こんなちっぽけな情報だけを頼りに、変化を、未来を、運命を予測することの無謀さ。
私がそこに気がつくことができたのは、あまりにも大きなものを失ったという痛恨の経験があるからです。
どんな経験も決して無駄にはならないのですね。
そんなことにも気がつくことができました。  


Posted on: 11月 21st, 2013 by エフ カウンセリングオフィス No Comments