執着の行きつく先は…(3)パズルのピース | エフ カウンセリングオフィス

執着の行きつく先は…(3)パズルのピース

                       

執着の行きつく先は・・・(2)私に欠けているモノ の続きです

  一体、何が欠けているのだろう?
何で埋めればいいのだろう?と・・・
「これで埋めれば寂しさは不安は解消されるかもしれない・・・」
かつて私はそんな漠然とした思いを抱きながら、
まるでパズルのピースを探し求めるようなことをしていったのでした。
そうです、パズル。
ジグソーパズルの最後のピース?
これさえ手に入れることができれば上手くいくかも??
そんな気がしていたことも確かです。
そして目につくものにとりあえず手を伸ばしてみる。
いかにも「それらしく」見えるものが目の前に転がっている・・・。
これだ!と夢中でしがみつく。
私に欠けていたものはこれなんだ!
逃してなるものか!と背水の陣で臨みます。
ところがその努力は徒労に終わりました。
なぜなら、「その努力」とは「ある他者の気持ちをコントロールすること」であったからです。
私のことを理解してほしい!
この想いもまた「他者の気持ちをコントロールすること」にほかならないのですが、
そこに私は気がつきませんでした。
私は大きな大きな落とし穴にはまっていたのです。
他人の気持は他人のもの。
その人の気持ちを自分がどうにかしたりすることは不可能なのです。
人の気持ちを動かすことができる?
それは「幻想」と言ってもいいかもしれません。
もちろん、「結果として」人の気持ちを動かすことができた、ということはあります。
それはあくまでも「ひとつの結果に過ぎない」のです。
自分が望むような結果を手にすることができなかったとき、人はどうするか。
その事実を受け入れるか否か、です。
執着するとは、その事実を受け入れないということに他なりません。
少なくとも私にはそう思えます。
受け入れることができないとき、そこには「怒り」がわき出てきます。
その怒りはおさまることがありません。
思うようにならなかった相手に向けて。
そして、思うようにできなかった「情けない自分」にむけて。
火に油を注ぐように、時間が経つにつれてさらに燃え上っていきます。
ところがこの怒りというものは、残念なことに「ピント外れ」な非常に滑稽な様相をおびています。
本来「正当な怒り」というものは邪悪なものに対してこそ向けられるべきものであるはずです。
邪悪なものとは、たとえば「人の存在そのものを脅かすようなもの」だとか、そういうものです。
「人の気持ちが自分の思うようにならない」ことはどうかというと、邪悪でも何でもない・・・。
だからそこに向けられた怒りというのはいってみれば「なんだか安っぽい、
けれども非常に危険な怒り」ともいえるものなのですね。
勝手に思い込んで、勝手にわめいている・・・・
この姿はまさにかつての私です。
でもどうにもなりませんでした。
どうしていいのかもわかりませんでした。
決して得られることのない満足感を求めてどこまでも怒りの炎は燃え上っていきます。
最終的には自分の身をも焦がしてしまうほどにまでなっていきます。
これが執着の苦しみであり、執着の行きつく先です。 不毛な世界です。
さらに私はもう一つ、大きな過ちを犯していたのでした。
それは決定的な過ちでした・・・。  

執着の行きつく先は・・・(4)悪夢から目覚める に続きます 


【参考記事】
執着を手放せない~(1)その大切な意味
執着を手放せない~(2)執着の中身をのぞいてみる
執着を手放せない~(3)執着が消える瞬間
執着を手放すって・・・?(1)諦められない!
執着を手放すって・・・?(2)手放す努力
執着を手放すって・・・?(3)捨てられないもの
執着を手放すって・・・?(4)希望
執着を手放すって・・・?(5)自由時間
執着を手放すって・・・?(6)残る想い
執着を手放すって・・・?(7)想いの再結晶
執着との訣別
執着の行きつく先は・・・(1)苦しみの正体
執着の行きつく先は・・・(2)私に欠けているモノ  
 
執着の行きつく先は・・・(3)パズルのピース  ※この記事です
執着の行きつく先は・・・(4)悪夢から目覚める


Posted on: 5月 7th, 2014 by エフ カウンセリングオフィス No Comments