私には「自分の考え」が無い? | エフ カウンセリングオフィス

私には「自分の考え」が無い?

      

「いったい自分はどうしたいのだろう?」
こう自分に問いかけてみる・・・・・。
でも・・・「わからない」。

ところが、わからないままだと前へ進めない、何も変わらずに苦しいまま。
そこで無理にでも「考え」をひねり出そうと努力してみます。
この痛ましいともいえる努力の結果、なんらかの「考え」が浮かんではくるのです。
それは1つ、だとは限りません。
2つかもしれないし、3つの場合もあるでしょう。
あるいはもっと。
いくつもいくつも、自分の頭に浮かんでは消え、また浮かんでは消えの繰り返し。

ここで問題となるのが、「この考えが正しいかどうかが分からない」ということです。
やっとの思いで考えをひねり出してみたものの、正しいかどうかの確証が持てない。
これでは実行に移すことはできません。
結局、動くことができずに何も変わらない・・・。
この繰り返しとなってしまいます。
気を取り直して、さらに考えることを「努力」する。

かつて私も、このプロセスに嵌ってしまいました。
本も読み、ネットでも情報を漁り、ありとあらゆる方向にアンテナを張る事にも努力しました。
自分の持っている知識だけでは十分ではない、情報が足りないのだ!
そう思い込んでいた私は、自分の外から「正しい知識・正しい情報」を取り入れることに夢中になっていきました。
ある意味とても前向きで積極的でもあったわけです。

正しくないものは排除しなくてはいけない・・・。
こんな思いも強かったので、目の前に現れてくる「知識・情報」正しいのかどうかを必死にチェックしようと試みました。
正しいかどうかのチェックを「正しく」行うために、さらに正しいと思われる知識と情報を探す。

こうなるともう蟻地獄に落ちてしまったようなものです。
這い上がってくることは難しくなっていきがちです。
私が陥ってしまった第一のワナは「正しくなければいけない」というところにあったのです。

さらなる 第二のワナは「正しさの根拠が必要」と思い込んでいたところにありました。
どこまで行っても「絶対的な正しさ」など証明できるはずもありません。

もちろん、たとえばビジネスの場での事柄については「この局面では正しいor正しくない」という類の判断は必要でしょう。

そこには「一個人としての私の考え」というものと「ビジネスの場における私の考え」というものを
立体的に組み立てて行動に結びつけてていく必要が出てきます。

でも、きわめてプライべートな一個人としての「私」が何かを考えるときに、「正しいか正しくないか」を中心においてしまうと、
それはもはや「私の考え」ではなくなってしまいます。

「私という一つの世界」があるとすれば、そこの住人は私1人です。
それは「自立」しているということです。
その場所にいる時には「私の考え」は誰からも批判されることがありません。

批判される心配が無ければ自由に考えることができます。
自分の中から出てきた考えなのか、
それとも他者からの意見(たとえば常識など)を自分の考えだと思い込んでいるだけなのか。

この区別をすることが大事な一歩となります。
試してみてはいかがでしょうか?  


Posted on: 7月 24th, 2014 by エフ カウンセリングオフィス No Comments