人間不信~他人を信じることができません(1) | エフ カウンセリングオフィス

人間不信~他人を信じることができません(1)

   

この人のことを信じていいのだろうか?
この人は私に嘘をついているのではないだろうか?
いつか裏切られるのではないだろうか?
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人間不信になると、このような考えがジワジワと頭の中を占領していきます。
根拠のないことを信じることができなくなります。
さらに不信感が募っていくとどうなるか…。

仮に根拠や証拠があったとしても、
「そんなはずはない、私は騙されているに違いない」などとなっていきます。
この時に頭の中に居座っているのは「自分のまわりの人はみな敵だ」というようなものです。

私に好意を持ってくれる人などいない、誰も私をわかってくれない・・・。
だから私は誰も信用することができない、信じてなるものか!
こうなっていくことが多いのではないでしょうか。

まわりがみんな敵に見えてしまうのですから孤立感にさいなまれます。
四面楚の状態に感じてしまいます。
助けを求めようにも、その助けの人すら信じることができなくなってしまう。

これは非常に辛いです。
出口が見えません、将来の見通しが立ちません・・・

でも、この状況から脱するためにやれることはいくつもあります。 その一つとして「前提を疑ってみる」というものがあります。

ここでいう「前提」とはなんでしょうか?
まず、「信じる」という言葉の裏に隠されている闇の部分に光を当ててみましょう。
誰かを信じるとき、あるいは何かを信じるとき、それは「何のため?」でしょうか。
目に見えるような「成果」とか「結果」を求めてはいませんか。 誰かに、何かに・・・。

●誰かが自分の求めることをしてくれる、やってくれる。
●必ず私の求めていることを、彼あるいは彼女は「やってくれるはず」。
そう信じていることはないでしょうか。

もちろん、相手が自分の求める成果や結果をしてくれるはず、という想いには根拠だってることでしょう。
たとえば、以下のようなことです。

●相手が約束してくれた。
●相手が「わかった」と言ってくれた。
●相手が「必ずやるよ」と言ってくれた。
などなど、他にも挙げればきりがありません。

だからといって相手が自分の要望を必ずかなえてくれるとは限らないのです。
なぜなら、相手には相手の事情というものがあるからです。

そして人間というのは常に変化する存在なのです。
事情が変われば気持ちも変わる。

この当たり前でシンプルな原則を忘れないでおく必要があります。 立場を逆にしてみればわかることです。

自分だったらでょうでしょうか。
「必ずやります」と口にしたことをすべて、やる遂げることができるでしょうか?

事情が変わってしまった、気持ちが変わってしまった。
だからできなくなってしまった・・・。
そういうことがあったはずです。

恋愛を考えるとわかりやすいです。
「一生あなたのことを愛します!」

本当に? 本当にそう言い切れるでしょうか?
気持ちが1ミリたりとも変わらないと、自分の気持ちを保証できるでしょうか。

自分の気持ちですら、自分の思うようにはならない、思考の力ではコントロールできないのです。
ましてや他人の気持ちを自分がコントロールすることなどできるでしょうか。

答えは簡単です。
他者の気持ちをコントロールるすることは誰にもできません。
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誰かのことを信じるのは自由です。
信じることは素晴らしいと私は思います。

けれども、「あなたのことを信じるから私の要望に応えてね」という期待が心の中のどこかにあると
それは「信じる」こととはかけ離れたものになってしまうのです。
「信じる」という言葉の仮面をかぶった「自分の欲望」になってしまうわけです。

そうすると、結果として自分の欲望が満たされなかったときに「裏切られた…」となってしまうのではないでしょうか。

裏切られた感じというのは、これはこれで辛いものですね。
打ちのめされて身が引き裂かれるような何とも言葉で表すことのできないような憤怒です。

でも、これは誰が悪いのでもありません。
「信じる」ことの解釈が、違っているだけなのです。
「信じる」ということは自分の願いを相手を使って叶えるための魔法ではないのです。


人間不信~他人を信じることができません(2)に続きます


Posted on: 11月 12th, 2014 by エフ カウンセリングオフィス No Comments