それは執着ではないかもしれない | エフ カウンセリングオフィス

それは執着ではないかもしれない

20161119

多くの方が関心を持っているテーマの一つに
「執着」ということがあります。

見渡してみると「執着」に関することが
いろいろと語られていたり、
さまざまに書かれていたりします。

執着はよくないよ、とか
執着を捨てましょう、とか
あるいは
執着から抜け出ると楽になる!
などなど、挙げればきりがありません。

かくいう私もこのブログで執着について
数々の投稿をしています。
そして今回もまた、執着について
別の角度から考察してみたいと思います。

自分がどんな時に
「ああ、執着してるな」と感じるか?
思い起こしてみるとひとつには
長い間その人(あるいは「もの」「こと」)を
思い続けていたり考えつづけていたり、
そんな場合です。

 いつまでも未練がましく思っていてはいけない。
 もういい加減あきらめたら?

そんな声もどこからか聞こえてきたりします。
そして反省する、
あるいは自分を責める、
執着を捨てきれない自分って
やっぱりダメだなあ、などと…。

ところがです。
それって本当に「執着」ということなのかどうか、
疑ってみるということに注目しようとは、
あまりしないことが多いかもしれません。

長い時間、思い続ける。
大きい、多い、そんな気持ちで
対象(ひと・もの・ことがら)を思う。
これは執着ともいえるかもしれませんが、
場合によっては執着とは正反対の位置にある
「憧れ」だったりします。

執着の対極にある「憧れ」

憧れとはとても大事なものではないでしょうか。
その人をかたち作る、
その人らしさがにじみ出る、
その人に花を添える。
その人の人生にとっての
大切なエッセンスがそこには詰まっています。

憧れがあるから元気が出る。
憧れているから不思議と嬉しくなる。

憧れている気分に浸っていると
なぜか自然と笑いたくなってくる。

そんな経験をお持ちの方は
多いのではないでしょうか。

確かに見分けがつきにくいかもしれません。
執着と憧れ、どちらも「とても強い」気持ちです。
強い気持ち、というところでは同じかもしれませんが、
執着は苦しい、でも憧れはその逆です。

嬉しかったり、あるいドキドキしたり、
胸が締め付けられるような
なんとも言えない濃厚な想いだったり…

憧れには人生を「より軽やかに楽しく」させる
何かが潜んでいます。
感じたことがある人ならば、
その違いは明らかに思いうかぶのではないでしょうか。

そしてさらなる違いが厳然として存在しています。
執着は「自分のものにしてしまわないと気が済まない」
憧れは「そもそも自分のものにはならないから憧れる」

この違いが大きいのだと思います。

手が届かない、自分の所有物にはできない。
この点では、実は両者<執着と憧れ>は同じです。
違うのは「所有欲」があるかないかでしょう。

光りかがやく穏やかな空模様、
気持ちの良い空気、
肌にやさしくそよぐ風、
耳に心地よい鳥の鳴き声。

誰もがいいなあと思うであろう風景があります。

これを自分ひとりで独占できる思っている人がいるでしょうか。
おそらくいないでしょう、不可能なことは誰でもわかります。
だから憧れることはあっても執着することはありません。

他人の気持ちも同じようなものといえます。
自分のものにするなど不可能なのです。
だから苦しくなってしまうのです、
それを自分のものにしようとすると…。

でも私は執着を悪いこととして
批判すべきということには
少し違和感を覚えるようになりました。

執着の苦しみを散々味わったからこそわかることがある。
出口のない執着地獄に陥った人だけにしか
見えないことがある。
そんな風にも思うのです。

執着の苦しみ、絶対に手に入らないという
その無限のつらさがあるからこそ、
その対極にある「憧れ」る思いが
なんとも嬉しく、意外で、素晴らしいものだと
そう気がつくのではないでしょうか。

もしかしたらあなたが手放さなければと
努力しているその「執着」
それはもしかしたら…

執着ではない「なにか」の可能性があるのです

ですから、執着に苦しんだことのある方であれば
なおさら今一度、本当に自分で手放すべきと思っているものが
執着なのかどうか再考してみる。
その時間を自分に作ってみてあげるのも
いいかもしれませんね。

 


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Posted on: 11月 20th, 2016 by エフ カウンセリングオフィス