わかってもらえない寂しさ | エフ カウンセリングオフィス

わかってもらえない寂しさ

どのような時に寂しさを感じるのか考えたときに、
もちろん、人によって感じ方は違いますし、
これといった正解あるいは、間違いがあるわけではないと思います。

でも強く浮き上がってくる一つの思い、それは、
理解されないとわかった時の寂しさの、
言葉にしつくせない大きな穴のような、
ぽっかりと口を開けたような暗澹(あんたん)たる、
その自分の力が及ばない打ち砕かれたような心持ちではないでしょうか。

自分が欲しいと思っているものを探す、
あるいは、なくしてしまったものを探す。
それが大事なものであればあるほど、
熱心に、必死に、あきらめずにどこまでも
あきらめずに探すことに全力を注ぎます。

自分の気持ちを理解してほしいと願う時、
それは探し物をするときの期待感と
似ているような、そんな気もするのです。

期待があるからこそ、熱を入れて、
一生懸命に自分の気持ちをわかってもらおうとする。

どうしてもわかってもらいたい、理解してもらいたい。
なぜなら自分にとってとても重大なことだから…。

見当たらない探し物を、必死に探し回るのと
ほぼ、同じなのではないでしょうか。

そして、その先どうなるか。

どんなに手を尽くしても理解してもらえなかった…。
こうなると期待していたものがガラガラと崩れ落ちるかのような
ある種の衝撃と、そして無力感のようなものがやってきたりします。

そんなとき、ああ、自分は一人なんだなと、
何とも言葉にするのも難しい感覚が、
じわりと自分の中からこみあげてくることはないでしょうか。

あえて一言で表現するならば、寂しさ・・・

ただ寂しいだけではなく、力が及ばなかったという無念さだったり、
あるいはどこかで何故か自分を責めてしまう気持ちも、
もちかしたら混ざっているかもしれません。

探し物と同じように、期待していただけに
その反動もきつい場合もあるでしょう。

でも、ここで人生終わりではありません。
大事なのはさらにこの先です。

ここまでのことは、もうすでに「過去のこと」となっている。
「今」はこの先に繋がっている、と考えることもできるのですが、
なかなか言うは易し、行うは難し、ですね。

どういうことかというと、確かに理解してほしと思う人に
理解してもらうことはできなかった、あるいは難しかった。
理解してくれようとしたけれど、自分の気持ちとはズレた理解だった。
このような現状を「辛い」と感じていると、
この先もこの辛い状態が続くのではないか?と疑ってしまうのが
一般的な傾向なのですが、そこに盲点がある、ということなのです。

今まで自分は理解されたんことがなかった、
だからこの先もないだろう。
自分をわかってくれる人などいない、
だって今までそうだったから。

でもそれは確かにそうであると言い切れることでしょうか?

未来のことは誰にも分りません。
絶対こうなると誰も断言できはしません。

ですから、いつの日か自分を100%とはいかないまでも
これまでとは比べ物にならないほどに「理解してくれようとする人」に
出会える可能性はゼロではないということです。

そんな人がいるとして、でも今は出会っていないとしたら、
現状の「辛さ」をそのままにしておく必要もありません。
少しでも和らげてあげることはでるかもしれません。

どうすればいいのでしょうか?

残念ながら微力な私には、これという正解はわかりません。
でも、もしかしたらこんな問いを自分に投げてみるのはどうだろう?と、
そんな思いも湧き出てくるのです。
その問いとは2つ・・・

1つ目の問いは
「本当に理解してほしかった、本当の気持ちは何だろう?」
さらに2つ目の問い
「もしかしたら、言葉にできない気持ちがあったのではないだろうか?」

自分ですらわかっていないものを、ましてや人に伝えるのは難しい。
そんな考えが頭をよぎるのです。

自分で自分の本当の気持ちが、今まで以上にわかるようになれば、
もしかしたらこの辛さはスーっと静かに
後ろの方に引き下がってくれるかもしれない、
こんなことも思うのです。


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カテゴリー: 03.孤独感・疎外感
Posted on: 3月 26th, 2018 by エフ カウンセリングオフィス