存在を認めてもらえないという怒り | エフ カウンセリングオフィス

存在を認めてもらえないという怒り

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この世で初めて個々の人間に「名前=人名」をつけることを思いいついた人は、

一体どんな人だったのだろう?と思うことがあります。
人間は、はるか昔に「言葉」というものを使い始めました。
敵が近づくのを仲間に知らせるため?
獲物のマンモスが現れたのを仲間に知らせるため?
確かにそれもあるでしょう。でもそれは「言葉」を使わなくとも可能です。
現に多くの動物たちが「言葉」使わずに動作や鳴き声などの合図だけで 集団行動をしながら生きています。
人間はただ生き延びるだけではなく、自分という存在を誰かに認めて もらいたくなったのではと思うのです。
そして自分を認めてもらうためには誰かに近づいていく必要が出てきます。
そこで「私の名前は○○です。あなたの名前は?」とまずは自己紹介をするために名前が必要になった。
だから名前というものを考え出したのではないだろうか、と私は思うのです。

ところが言葉を使って誰かとやり取りをしていくうちに、自分とその誰かが随分と違っていることに気づいていきます。
性別、体格、顔つき、家族、住居、財産、地位、権力といった
外から見てわかりやすいものから、人柄や人望といった目に見えにくいものまで…。
しまいには自分と誰かの違いを誇示するためにもまた、言葉はうってつけのものだったのです。
「言う通りにしないと許さないよ(=私はお前の支配者だよ)」
「だからお前は駄目なんだ(=それに比べて私は立派だよ)」
こういう言葉を口にする人たちは、他の誰かより優位に立つことでしか、
自分の存在を認めてもらえないと思いこんでいるように私には見えます。
悲しいことだと思いますが、私はその姿を否定はしません。
そう思い込むだけの理由があって、それが彼(彼女)という人間の存在だと思うからです。 その彼(彼女)を正しいか正しくないかという物差しで見ることは、
この私が彼(彼女)より優位に立とうする行為そのものだと思います。
だから私はあるときから人の批判をすることを一切止めようと思いました。
批判はしませんが、嫌な人を無理やり好きになるという努力も止めました。
「○○さんという名前の人がここにいる」
まずはその人の存在を認めようと思います。
違いを「比べる」のではなく、違いを「認めたい」と思います。
「認める」というと、自分を抑えて相手を尊重する、というニュアンスにもとれないことは無いですが、
私が伝えたいニュアンスはむしろ「確認する」に近いです。

「確認する」だけならやってみると意外と簡単で、余計なエネルギーは必要ありません。
例えば「私に酷いことを言った人」と自分の中で確認しておくだけです。
たしかに○○さんの存在を無条件で認めていることになります。
○○さんとの関係がこれから広がっていくのか、それともこれっきりで終わりになるのか。それは現時点では不確定です。
そして不確定だからこそ、二人の関係が広がっていくという可能性「が」ここで生まれるわけです。
こうして私の未来にささやかな楽しみが一つ増えました。
「相手に対する自分の感情を、相手を無条件に認めることとは別の場所に隔離しておく」 ということが秘訣かもしれません。
相手の存在を認めることと、自分の感情を認めること、この二つは全く別のモノなのでしょう。
混同しないようにするだけで、私はずいぶん楽になりました。
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自分のありのままの存在を認めてもらえない。
そのことが人間の心に「激しい怒り」を生み出すのではないかと私は思います。
この私がそうでした。
そして私の父と母もまた、自分のありのままの存在を認めてもらうことができなかった、 かわいそうな子供たちだったのでしょう。
でも私にその責任はありません。
彼らの重荷を私が代わりに背負うつもりもありません。
私に今できることは、これからの自分の人生を納得のいくように生きることだけです。


Posted on: 12月 28th, 2011 by エフ カウンセリングオフィス No Comments