他人の視線が怖い | エフ カウンセリングオフィス

他人の視線が怖い

 

子どもの頃、私は極度の赤面症でした。
授業中に先生から指されたりすると、自分でもどうすることもできない位に緊張して、 顔が真っ赤になっていたものです。
その場にいる人みんなが私のことを見ている、そう考えるともうダメなのですね。
怖くて怖くてどうしていいかわからなくなってしまうのです。
成長してもこの傾向が続くには続くのですが、様相が変化していきました。
異性とは割と自然にふるまえるのですが、なぜか同性の視線が、 異常なまでに気になるようになったのです。
(「女=母」という連想に、私の中の何かが反応していたのかもしれません。)
特に苦手だったシチュエーションは女の子同士でお茶やランチをするために入る 喫茶店(古いですね)の席、でした。
1対1で相手と差し向かいの場合はあまり怖くはなかったのですが、4,5人の女の子に囲まれて座る、
という状況が特にダメでした。
こんなことを言ったら笑われるかもしれない、どうしよう、何をしゃべろう?
こう考えているうちに話題がどんどん移っていき、話すタイミングを逸してしまうんです。
次第に私は無口な人になっていきました。
ある日、いつものように何人かの女の子たちと喫茶店でランチをしていた時のことです。
その中の一人の女の子から「○○(私のあだ名)ってさぁ、なんか暗いよね~っ!」 とみんなの前で私はネクラ認定されてしまったのです。
当時は今と違って好景気の時代ということもあって、明るいキャラクターこそが素晴らしい! というような空気がありました。
ですから、「暗い」という烙印を押されることは「落ちこぼれ=負け組=ダメ人間」を意味したのです。
まあ、そう私が思い込んでいただけなのかもしれませんが(笑)。
とにもかくにも、私の青春時代は暗黒の時代となってしまったのでした。
私にとっては他人(特に同性)からの評価が全てだったのです。
それが私のルールでもありました。
こうして私はますます身動きの取れない、不自然な物体と化していきました。
自分の価値を他人の物差しでしか実感することができなかった人間の、悲しい末路です。
それから時が流れ、紆余曲折も経て、今ではもう他人の視線におびえることはなくなりました。
誰かの視線を感じても「あらこの人、私を見ているのね」と、私もその人をただ見るだけです。
そして仮に今、誰かから「○○さんて暗い人ね」と言わたとすれば、
「ああ、あなたの目には、私がそう映るのね。」とだけ私は言うことでしょう。    


Posted on: 1月 28th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments