感情を封印する恐ろしさ | エフ カウンセリングオフィス

感情を封印する恐ろしさ

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私が身をもって実感したある恐ろしさについて、記録しておこうと思います。
感情という概念はとても曖昧で、そのとらえ方は人によってそれぞれだと思いますが、
私が思い浮かべる感情の姿とは次のようなものです。
感情というものは自分の奥底にある言葉にできない部分から湧き上がってくるもので、
思考の力ではその『出現』を制御することができません。
湧き上がって表に出てきて、初めて私たちは「感情」というものと「対面」できるわけです。
そして対面できた感情に対して、私たちは思考を働かせていろいろな対応を試みます。
ある時には自分ひとりで静かに向き合う、ある時には誰かと一緒にそれを味わう、
ある時にはそれを他人に「転送」する・・・。
ここに書ききれない莫大な数の対応の仕方があるでしょう…。
私はこの感情というものを「封印」して生きてきた人間です。
(もちろん例外的な場面はありましたが、今日のテーマからはズレるので割愛します)
自分の中から出てきた感情を「無かったことにするために」自分の奥底へ一瞬のうちに押し込めて、
再び表に出てこれないように蓋をする・・・。
なぜこんなことをしていたのかというと、私にとって「自分で制御できないモノ」ほど
怖いものはなかったからです。
感情が湧き出てくることを制御することはできない。
でも、出てきた瞬間にそれを封じ込めてしまえば、限りなく「制御できた」ことに近づく。
そう私は考えたのです、まさに苦肉の策でした。
前置きが長くなってしまいましたね、先を急ぎます。
私が実感した「感情を封印する恐ろしさ」とは何なのか。
それは・・・『死に対する不感症』」でした。
感情に蓋をすることに慣れていくうちに、「死」というものに対しても蓋をしてしまうことに
何の躊躇も感じなくなってしまい、反応できなくなってしまったのです。
結果として、私は自分の死のというものに向き合うことをしなくなったのでした。
ところが、他人の死に対しても『実感することができなくなってしまった』のでした。
少し前の記事 で、私が敬愛するミュージシャンのことを書きました。
彼が亡くなったというニュースを耳にしたとき、私の頭によぎったのは
「え?死んだんだ・・・」 という言葉だけでした。
本当にこれだけ・・・何も感じませんでした。
感じることができませんでした。
そして私はすぐに他のことに気を取られてしまいました。
この文章を書きながら、心の中に潜んでいた狂気としか思えないものに驚愕し、
常軌を逸していた自分に背筋が凍る思いです。
いったい私は何者だったのでしょうか。
何食わぬ顔をして普通を装い、世間の雑踏に紛れてひっそりと生息していた不気味な物体。
人間の姿をした魔物かそれとも鬼か、あるいは機械仕掛けの人形かロボットか・・・
恐ろしい、という言葉しか思い浮かびません。
ところが長い年月を経て、封印するために覆いかぶせた蓋はいつの間にか破損し、
私の感情は再び外へと現れ出てきました。
驚くべきことに、それは微塵たりとも劣化することなく、生れ出た時の新鮮さをそのまま保っていました。
私は今この感情と、一人静かに向き合っています。
死に対する思いというものも、蘇ってきました。
人の死を嘆き悲しみ、私は泣き続けるのです。
偶然であれなんであれ、とにかくも自分の感情が
自分の手の内に戻ってきてくれたことに感謝しながら…。
(今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます)  


Posted on: 2月 4th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments