「いい人」を演じる | エフ カウンセリングオフィス

「いい人」を演じる

   

自分がどのような人間か、知っておくことはとても大切なことではないかと、最近つくづく身にしみて感じています。
かつての私は、「自分を知る」ことよりも、「自分がどうあるべきか」を優先させてしまいました。
もちろん、自分がどうあるべきか、どうありたいのか、ということは人生をより良くするためには必要なことだとは思います。
でも、それは「自分がどんな人間か」を知ってからのほうが無理がないと思うのです。
私がおかしくなってしまった原因の一つは、「いい人でもないのにいい人という役割を演じようとした」ことにありました。
「いい人」といっても漠然過ぎますね。
もう少し詳しく説明すると、
「自分の気持よりも人の気持ちを優先して、人のために何かをしてあげることに喜びを感じる人」でしょうか。
そういう人に私はなりたかったのです。
本来の自分とは全く逆のキャラクターに憧れたのです。
自分自身を喜ばせることに、私は躊躇していました。
常に他人からの評価が気になっていたからです。
「自分勝手」というレッテルを張られるのが恐ろしかった・・・。
そんなレッテルを張られてしまったら、世間からつまはじき~ 村八分にされてしまう、
そんな底知れぬ恐怖を感じていたのかもしれません。

そして心の奥底のどこかで、自分多示唆を素直に出して生きている人に嫉妬していました。
この嫉妬の気持ちが、さらに私を苦しめました。
嫉妬なんてみっともない感情を持つ自分が許せない。
だからこの気持ちを打ち消すかのように、「いい人」を演じることにますます情熱を傾けていきました。
本来ひとつであるはずの心はふたつに分裂寸前となっていきました。
誰もが自分の中に持っている心とか気持ちというものは、「良い」か「悪い」かではないのだと思います。
第一、「良い」「悪い」などと決める権利が誰にあるというのでしょうか。
「あの人は悪い人だ、あんな行動はけしからん!」と声を上げるのは自由です。
でも、その声を自分にぶつけられたからと言って、それをイコール「自分の価値」として受け取る必要は
ないのではないでしょうか。

そんな疑問も抱くことなく、人の声をそのままイコール「自分の価値」として受け取っていた私。
「いい人」という他人からの称賛・レッテルがどうしても欲しかったわけなのです。
ただの水が入っているボトルにワインという立派なラベルを張ったところで、中身は水のままです。
水がワインに変わる魔法なんて存在しないのです。
そこに私は気が付きませんでした。


Posted on: 2月 14th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments