封印が解かれる時 | エフ カウンセリングオフィス

封印が解かれる時

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前回の記事
でロック音楽について書きましたが、それで頭に浮かんだことを今日は書こうと思います。
折に触れて申し上げておりますが、これから書くこと<も>あくまでも私の独断と偏見(?)
もしくは ある種の妄想ですので、どうぞご承知おきくださいませ…。
私は中学生のころからロックにのめり込んでいったのですが、
ある日突然それを聴くのをやめる決意をしました。
その決意を確実に実行に移せるよう、お小遣いをつぎ込み何年もかけて集めた
数百枚にものぼるレコードすべてを捨てました。
ただの一枚も残さずに…。
なぜそんなことをしたのか。
私は「心を折ってしまった」からです。
本当の自分が出てきて暴れないように箱の中に閉じ込め、何重にも頑丈な鎖でぐるぐる巻きにして
南京錠で施錠<ロック>しました。
自分というものに封印をしました。
「何」が私をそうさせたか?
「もう一人の私」がそうさせたのでした。
自分が生きていくために必要と思われた<心のよりどころ>を、
私は自分の「中」にではなく
「外」に求めることを選択したのでした。
こんな変な音楽を聴いて親を悲しませてはいけない。
世間一般の女の子がみんな追いかけている流行を私も追いかけよう。(可愛い服をたくさん買って揃えました)
料理上手になってオンナを磨こう。 (実際に料理学校にも通いました)
今から思うと可笑しくて滑稽で笑いしか出てきません。
というより狂っている!に近いですね。
自分では固い決意をして納得の上でやっていることだと信じていました。
信じているつもりでした。
でも封印された本当の自分は納得してはいなかったのです。
こんな理不尽でへんてこりんな行動を強要されて、本当の自分は怒り狂うわけです。
閉じ込められた箱の中で。
そして、その怒りを箱の外に放出します。
本来その怒りが向けられるべき対象は「もう一人の自分」なのですが、
私は自分で自分を攻撃することに耐えられなかったのでしょう。
二人の矛盾した自分が、自分の内側に同時に存在することの意味が分からなかったのです。
勢いを増して噴き出してきます。
箱の中に閉じ込めておくことはできません。
すき間から少しずつ外へ出ていきます。
怒りはターゲットを探し始めます。
そうです、怒りというものは何かを攻撃せずには存在することができないものなのです。
常に攻撃する敵を探している…。
私の場合、それは親に向かっていきました。
自分を攻撃するよりは親を攻撃する方がまだマシだったからです。
相手を攻撃すると怒りは爆発しますが、そこで消えてなくなってはくれません。
残骸が残ります。
それは、「正体不明の不安感」です。
そしてその「正体不明の不安感」が今度は自分に跳ね返って向かってくるのです。
自分を封印している箱の中に、スルッと入りこんできます。
こうして箱の中に充満していた「怒り」が「正体不明の不安感」に置き換わっていきます。
徐々に徐々に、何年もかけて、じわじわと…。
私は30年近くにわたってこれをやってきました。
最終的にはこの「正体不明の不安感」が箱の中に充満して、箱を膨張させていくにまで至ります。
そして遂に、箱の外側をぐるぐる巻きにしていた鎖を一瞬にしてブチ切ってしまいました。
私は「得体のしれない不安」というものを持ち続けていることができなかったのです。
鎖が切れて封印が解かれた箱の中から本当の自分が姿を現しました。
自由になった自分にもう怒りを向ける対象は存在しません。
怒る必要はなくなりました。
なぜならありのままの自分は、自分の意に反した理不尽なことを一切しないからです。
それはいわゆる「わがまま」とは全く別のものです。
他人と折り合いをつけるのも、社会と上手くやっていくのも、全て自分で選択して、納得して行うのです。
成功するとか失敗するとか、そういうことも関係ありません。
「自分が欲している行動を行う」それだけが自分を喜ばせることを実感できているからです。
何かをする、行動する。 自分のやりたいことを。
それはすなわち本当の自分の心との動きそのままです。
封印が解かれる時、それがいつ訪れるかは人によってさまざまでしょう。
若いうちに訪れる人もいれば、私のようにこんなに長くかかる人もいるかもしれません。
ただ一つ私に言えることは「その時」が訪れる可能性は誰にでもある、訪れる、ということです。
それを私は願っています。


Posted on: 4月 26th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments