親切な人 | エフ カウンセリングオフィス

親切な人

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いつも柔らかな表情で、さりげなく周囲に気配りができるひと。

そんな人がとても気になって憧れにも似た気持ちを抱いていた時期があります。
なぜ自然にふるまえるのだろう、なぜ人に親切をして笑っていられるのだろう?
そしてこんな疑問も湧きました・・・。
「人に親切をして何が楽しいのだろう?」
私は人から親切にされることがとても苦手でした。
なぜなら負い目を負うからです。
親切を受けたからには「感謝しなければならない」からです。
いろいろといきさつがあって、「感謝」という行為が一種の義務のようなものになっていたのです。
ですから、人に親切を行うということにも躊躇していました。
相手に「感謝」という行為を強制してしまうのではないかと。
いわば「見返り」を期待してしまう自分に、嫌でも遭遇してしまうからです。
ギブ&テイク。
計算ずくのようでなんだかとても息苦しい。
いつも神経がピリピリしている。
こんな気持ちが人間関係を緊張に満ちたものにしていたような気がします。
批判する気持はさらさらないのですが、
親切の押し売りというか、自分が行ったことにに対して 相手に「感謝」を求める(あるいは強要する)
そんなタイプの人がいます。
そして、自分が求める形での「感謝」でないと気が収まらない人、
感謝の気持ちが足りないと相手を責める人も中にはいます。
そういう人にとっては、相手の反応を確かめて時間出来ることがとても重要な意味を 持っているのかもしれません。
相手からの反応が自分の期待している通りであれば、そこで初めて心の平安が保てるのでしょうか。
実はこれはかなり苦しいことなのではないかと思います。
相手には相手の事情があります。
そしてその人の気持ちや感情はあくまでもその人のモノです。
こちらの思う通りにはなりません。
感謝の強要とは、相手を自分の思うとおりにしたいという隠れた心の表れともいえるかもしれません。
自分ではどうにもならないことを切望するとき、それが実現しなかった場合のダメージは計り知れません。
自分の力の及ぶ範囲ではないから、そこには相手への恨みや憎しみが生まれてしまうのです。
そこには負の感情の持つエネルギーが渦巻いてしまうのです。
そのエネルギーは簡単には消滅しません。
「親切」という行為ひとつとってみても、こんな危険性が潜んでいます。
私が昔あこがれていた「親切な人」は、おそらく人を自分の思うとおりにしようなどとは 夢にも思わずに、
その行為(親切)をしただけに違いありません。
そうでなければあんな穏やかな表情はできるはずないと思うからです。
その人は他人に何も求めなかったのでしょう。
親切をするという行為において。
自分がしたかったからににすぎない。
親切をしたことで自分が満たされたのだ。
それは見方によっては自己満足とか偽善といえなくもない。
でも、相手に何かを強要しないということは、
<おたがいに自立した人間として、私はあなたと 対等な関係を築いていきたいのです>
というメッセージに他ならないのではないか・・・。
今ならそんなふうに思えるのです。


Posted on: 4月 30th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments