なんだか物事が上手くいかない、動きたいのに動けない。
こんな時ってありますよね?
1日2日ならまだしも、何日も、何週間も、続くと辛いですね。
人によっては(私のように)何年も続く場合もあるでしょう。
なぜ上手くいかない?
なぜ動けない?
自問自答しますよね。
そして原因を探って、例えば、人のせい、周りのせい、社会のせいにしてみます。
でも、そうしたところで状況は悪くなるばかり・・・。
じゃあ、やっぱり自分が悪いのだろうか?
今度は自分を責めることを試み始めます。
努力が足りないからだ、気合が足りないからだ。
なんてダメなんだろう。
そして、もっと頑張ろう!と決意も新たに、「頑張る」ことを努力目標にします。
でも、でも・・・動けないんですよね。
思うとおりに人生が進んでいかないんですよね。
「頑張らなきゃ!」という努力目標を自分に課したところで、状況はこれっぽっちも変わりません。
少なくとも私自身の場合はそう、でした。
「頑張らなければいけない」 この標語は一見、もっともらしく思えます。
世間一般の常識として「頑張ることは素晴らしい」のですから。
でもそこには「自分が動けなくなっているワケ」という個人的な事情が考慮されていません。
動けなくなっているのにはワケがあるのです。
人間といえども「動物」ですから、生命を維持するための本能が備わっているはずです。
頭で考えても理解できないことが、自分の体の中のどこかで起きている。
その結果として「動きたいのに動けない」という状態になっている可能性もあるのだと思います。
動けないのには何か意味がある。
言い換えると「動けないことで何か必要なものを得ている可能性がある」ということです。
そう考えると、「努力が足りない」とか「頑張らなきゃ」などと、
自分を責める必要など これっぽっちもないということがわかります。
そして「頑張らなきゃ」と思うことの悪影響は、頑張ろうとしても頑張れなかったときに現れてきます。
それは「あせりと後悔」です。
あせりと後悔、それがどれだけ自分を追い詰めて、ひいては人生の障害となる事か…。
ドイツの文豪ゲーテがこんなことを言っています。
あせることは何の役にも立たない。
後悔はなおさら役に立たない。
前者はあやまちを増し、 後者は新しい後悔を作る。
☆ 引用元:「ゲーテ格言集」 (新潮文庫/高橋健二 編訳)
動けないことで得られているモノ~それを探ることは難しいかもしれません。
でも、動けない自分を責めずに「頑張らなきゃ」という努力目標を手放すことは簡単です。
自分は悪くない、そう気が付くだけでよいのです。
自分という存在をそのまま認めてあげることで、初めて見えてくるモノがきっとあるはずです。
私はそう感じています。