自分を受けとめてくれる存在 | エフ カウンセリングオフィス

自分を受けとめてくれる存在

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ありのままの自分を、そのままで受けとめてくれる人。

そんな人の存在に触れると、ほっとしますよね。
そういう人といつも一緒にいることができるのなら、孤独を感じることはないだろうと思います。
でも「ありのままの自分を受けとめてくれる人」なんて、そう簡単には見つからないのではないだろうかとも思います。
それは、逆を考えてみればわかります。
自分が果たして、ありのままにその人の存在を受けとめているだろうか、と。
批判も批評もせずにその人のことを見ているだろうか?
何かを期待してその人の行動を見てはいないだろうか?
上手くいくか心配しながらその人の成り行きを見てはいないだろうか?
他にもあげればきりがありません。
目の前のその人の言動を、ついついこちら側の「意図」を通して見てしまうことはよくあることですね。
ただただ目の前の人を「見るだけ」ということがいかに難しいかは、試してみればわかります。
例えば・・・。
悲酸な状況にある人を見る時、可哀想だとか、何とか手助けしてあげたいだとか、
いわゆる同情のような感情が自然に湧いてきますよね。
逆に、とってもイジワルな人を目にしたとき、懲らしめてやりたいだとか、
嫌味の一つでも言ってやりたいだとか、 怒りだとか腹立たしい感情が湧き上がってきます。
どちらの場合にしても、自分が相手を何とかして「動かしたい」という気持ちが出てくるわけです。
言いかえるとそれは「相手を支配したい」という欲求とも言えるでしょう。
まあ、それは人間ならば自然なことなのかもしれません。
人とのコミュニケーションでは当たり前のようによくあることですね。
そんなやり取りに私たちは慣れてしまっているのでしょう。
支配しようとする側と、支配されまいと抵抗する側・・・。
だから疲れて神経を消耗してしまうのではないでしょうか。 相手と一緒にいる、というよりは相手と戦っている、
というような状況になってしまうからです。
この戦場のような場所にいることに人は「孤独感」を感じるのではないでしょうか。
誰かと一緒にいても寂しい感じがするのは、そこに「支配欲」という魔物が潜んでいるからかもしれません。
「自分をありのままに受けとめてくれる存在」 そこには「支配欲」はありません。
どのような意図もはさまずに、ただただここにいる自分を見てくれる人。
共感もしない、同情もしない。 批判もしない、非難もしない。 期待も心配も何もしない・・・。
言ってみれば、モノをみるような醒めた目でその人を、見る。
それはとても冷たい行為のように思えるかもしれません。
でも「ありのままに受けとめる」とはもしかしたらこういう事なのではないかと私は思うのです。
たとえ相手がどんな状態になっても、自分はそれを受け止められるか?
そう自分に問いかけてみる時、覚悟が無ければ「YES」とは言えないことに気が付いて、
私は愕然とするのです。
「ありのままにその人を受けとめる」 これほど難しいことはない、でも、それができたらどうなるだろうか?
そんなことを考えずにはいられないのです。


Posted on: 8月 14th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments