正解はどこにある?(2)~選択の余地 | エフ カウンセリングオフィス

正解はどこにある?(2)~選択の余地

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前回の続きです)

「もしかしたら、いつか裏切られるのではないかだろうか?」
「この人のことを100%信じても大丈夫だろうか?」
打ち消しても打ち消しても、湧き上がってくる疑惑の念・・・。
それでも信じてみることを試みます。
なぜなら・・・。
正解だと信じることのできるものにすがりたいから?
間違いや失敗が怖いから?
そして案の定、裏切られる。 正確に言えば、裏切られたと「感じる」。
自分が信じた人・・・。
その人には、永遠に自分が期待する通りの存在であってほしい、
永遠に自分の理解者・自分の見方 であってほしいと思います。
それは、人間としてごくごく普通の感情だと思います。
ところがそうはいかないのが世の常ですね。
なぜなら、生きている限り人間というのは常に変化をしているからです。
相手だけでなく自分も、です。
気持ちや感情は当然のこと、思考や価値や信念といったモノだって、いつなんどき、
突然変異するかわからないのです。
(3.11のことを思い起こしてみてください。当たり前だと思っていたことが、
いとも簡単に崩れ落ちたではないですか!)
かつて人間たちは、この地球が不動のものだと信じて疑いませんでした。
天空が動いているのだとす~っと思っていたのに、違っていた・・・。
なんと、地球は丸かった!
地球の方が動いていたんですよ!
そんなびっくり仰天するような発見が、ある日突然、私たちの身の上にも降って湧いてくるかもしれないのです。
なんだか話がそれてきました、 戻します。
どんなに立派な人だって、人格者と言われている人だって、偉業を成し遂げた人だってみんな同じです、
私のような凡人と。
気持ちは変わるんです。
ああ、なんと当たり前すぎることなのでしょうか。
でも意外と見落としがちなことですよ、これは。
だからこそ、ビジネスでは契約書の類があったりするわけですよね。
申込書、納品書、請求書・・・いろいろあります。
いちいち細かいことまで文字にして、お互い確認し合っているわけです。
そうでもしておかないと、「やっぱり止~めた」などと誰かが言い出しかねない。
それでは困るから・・・。
なにも私は人を信じるな、とか、人を信用するなと言っているのではありません。
絶対に正しい「普遍的な正解」を、何かに、誰かに求めることの頼り無さを 考えてみたらどうですか、
と問いかけているだけです。
「正解」ではなく、ある一つの「選択肢」として何かを、誰かを信じるのならどうでしょう?
この違いは大きいのではないでしょうか。
「選んでみたけど違っていたみたい。」
「だったら別のものを試してみよう。」
そういう可能性~別の選択の余地~が出てきますよね。
「これを選んでみたい気分だった、だからこれを選択したのだ、今は。」
こんな風に、肩の力を抜いてみるのもいいかもしれません。
自分の人生は誰のものでもない、自分のものなのですから。
間違えたっていいではないですか。
いつも、いつでも、いつまでも・・・優等生でいる必要がありますか?


Posted on: 9月 12th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments