もしも言葉がなかったら | エフ カウンセリングオフィス

もしも言葉がなかったら

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もしも言葉というものがなかったとしたら、どうなるだろうか?
・・・私は時々こんなことを考えます。
まあ、こうして考える事も「言葉」を使っているわけですけれどね。
言葉が無ければ、今のように便利で文化的な生活はできないでしょう。
でも、少なくとも「悩む」ということは減るのかもしれません。
だいたい「悩み」とか「苦しみ」とかいう概念すらも言葉が無ければ存在しないわけですからね。
不思議なものです。
言葉があるから概念が存在する。
概念があるから「そうだと思う」。
言葉そのものに実体はありません。
この手で触ることはできないのです。
文字や音声となって私たちの頭の中に入り込み「浮遊」しているだけです。
この「正体不明の浮遊物」に、私たちは行動を制限されているといっても過言ではないでしょう。
良い例が「~してはいけない」という決まり文句ですよね。
~してはいけない?
なぜ?
本当に?
誰が決めたの?
~したら逆にどうなるの?
私はどうしても~したいんだけど?
そんなことを考えてみる必要がありそうです。
たとえ耳触りの良い言葉でも、それを鵜呑みにしない。
<言葉にできない自分のフィーリング」>いうフィルターに通してみるのもいいかもしれません。
根拠はない、なぜだかわからない、でもなんだか腑に落ちない、嫌な感じがする。
そんな時は、その言葉に<待った>をかけてみるのです。
そのまま自分の中に取り込まないで、ひと手間かけてから、<料理>してから取り込むんです。
そう、料理と同じです!!
ナマモノをそのまま食べたら食中毒を起こしますよね?
火を通さなければいけません。 どんなに高級な素材だって味をつけなければ「ただの素材」・・・。
トリュフをそのまま口に放り込みますか?
そんなことしませんよね(笑) だからこそ世界中のシェフたちは腕を競い合い、
日々、新しい味を追求しているわけです。
話が大幅にそれてきてしまいました(笑)、戻します。
大昔のことを考えてみましょう。
もともと今のような複雑な言葉なんてなかったんです。
マンモスを捕まえて生活していたころの人間達は、
今よりももっともっとシンプルなコミュニケーションで 生きていましたよね?
それでも大丈夫だったのです。
ちゃんと社会生活は成り立っていたのです。
あまりにも複雑になりすぎた現代の言葉・・・。
それに翻弄されるだけの人生なんて、味気ないと思いませんか?
言葉に自分を支配させるのではなく、どうせなら言葉を自分の味方につけたいものです。
そのために、自分の目の前に現れた言葉には<待った>をかけてみる。
そんなことを試してみませんか?


Posted on: 9月 26th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments