感情の封印を解く(2)~封印の行きつくところ | エフ カウンセリングオフィス

感情の封印を解く(2)~封印の行きつくところ

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前回の続きです)
楽になるために、生きのびるために「感情を封印」する。
これは禁じ手です。
使ってはいけないのです。
私の経験上、そう断言したいです。

なぜなら、楽になるどころか、その先にはさらに過酷な世界が待っているからです。
暗く冷たく、そして限りなく深い・・・そんな闇です。
何も動かない、動く気配がない。
自分の時間が止まる。
停滞。  
自分の奥底から湧き出してくる感情、それは自然なものです。
それを封じ込めるということは不自然なことです。
マイナスな感情、ネガティブな感情、自分に不利と思われる感情。
そういったものを押し殺してなかったものにする。
これにはかなりの労力が必要とされます。
なんとか無理やりにでもなかったことにできたとしましょう。
そして、プラスの感情、ポジティブな感情、自分に有利と思える感情。
それだけを味わってみることを試みます。
ところが不思議なことに、それができないということに気が付くのです。
なぜなら、プラスとかマイナスとか、感情そのものにそんな区別はないからなのです。
この感情は良いもの、あの感情は悪いもの。
そんな区別は、「頭」だけが一生懸命考えているだけにすぎない架空のものだからなのです。
だから、たとえば「憎しみ」という感情をなくそうと思ったら、それだけをなくすことはできないのです。
嬉しいとか楽しいとか、感動した、大好き・・といった感情もすべてまとめて消してしまう必要があるのです。
一つ一つの感情はそれだけで孤立しているわけではなくて、全部がどこかでつながっているといってもいいでしょう。
その全部の感情をひっくるめて消してしまう、無くしてしまう。
無かったものにしてしまうとどうなるか。
私がここで改めて文章にするまでもありませんね。
そうです、ロボットの出来上がりです。
楽になるために始めたことなのに、最終的には「楽な気分」を感じることもできなくなってしまうのです。
そうなってしなっても頭(思考回路)は働きます。
体も動かすことはできます
でも、心は何も感じない。
いえ、感じてはならないのです。
心の不感症でいることを自分に強要するのです。
自分の心に対してだけではありません。
人の心に対しても不感症となります。
人が喜ぼうが悲しもうが、なにも感じません
恐ろしいことに、人の死に対しても何も感じなくなってしまうことすらあるでしょう。
これを「地獄」と言わずになんと言えばよいのでしょうか?
次回に続きます)


Posted on: 11月 27th, 2012 by エフ カウンセリングオフィス No Comments