どこまでも自分を理解してほしいという思い(続)~理解してくれる人 | エフ カウンセリングオフィス

どこまでも自分を理解してほしいという思い(続)~理解してくれる人

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★どこまでも自分を理解してほしいという思い の続きです
理解を求めてもそう簡単に自分を理解してもらうことはできないし、
深いところまでしっかりと理解してもらうことは難しい。
そこまでは想像がつきました。
でもここで疑問が出てきます。
「本当に自分の気持ちを誰かに理解してもらうことは不可能なの?」と。
もし仮に理解してもらうことが不可能だとしたら、
そんな殺伐な人生は耐えられないと感じるかもしれません。
自分の「気持ち」を誰かに理解してもらわなくては
生きていくことは苦しみ以外の何物でもない、
そう思えてくることもあるかもしれません。
では「自分の気持ちを理解してもらう」とはどういうことなのか、
いま一度立ち返って考えてみたいと思います。
そもそも「自分の気持ち」とはどのようなものでしょうか?
気持ちというものは実体がありません。
形がありませんから目に見えませんし、もちろん触ることもできません。
では、その無色透明で形のないものを相手にわかってもらうおうとするときに
私たちはどうするでしょうか?
まず言葉を使うことが思い浮かびます。
言葉なら通じる、
その前提で自分の気持ちを言葉で表現しようと試みます。
ところがこの言葉というものが厄介なのです。
たとえば、このいま瞬間の気持ちを言葉で表現してくださいと、
そう言われたらどうでしょうか?
簡単には出てこないかもしれないし、
正確に言葉で表現することも難しいかもしれません。
もちろん、すぐに言葉として出てくるものもあるでしょう。
でもそれと同時に表現しきれない気持ちや思いも
感じられるはずでなないでしょうか。
ピッタリとあてはまるような言葉が無い、
しっくりくるような文章にならない。
むしろそれは自然なことでもあります。
だからこそ「言葉にしてみたら腑に落ちたとき」に
スッキリとした気分になるわけです。
「なんだかずっとモヤモヤしていたこの気持ち、
実は私、こんなに怒っていたんだ!」というように…。
よくよく自分を掘り下げてみたら
意外な気持ちが隠れている可能性もあります。
このように気持ちというものは
自分自身でさえよくわかっていなかったりします。
ましてや言葉で正確に表現することには限界があるわけです。
この言葉という限界のあるもので表現された「気持ち」。
この気持ちはその人のすべてではありません。
言ってみれば氷山の一角のようなもので、水面下にもその人なりの
たくさんの言葉にできない気持ちがあるのです。
水面下に隠れている気持ち…しかもそれは言葉になっていない。
この「本当の気持ち」があるということ、
そこに気がついてもらえた時に初めて
自分は理解してもらえたと思えるのではないでしょうか。
そして言葉にならない気持ちをさらに理解しようと深い関心を持つ、
これが大事なのではないかと思います。
たとえ正確に理解できないとしても「理解しようと試みる」…。
この心意気で自分に接してくれる人に出会えたとしたら、嬉しいですね。
すみからすみまで100%自分を完全に正確に理解してもらえることは難しいでしょう。
でも、その「理解するのが難しい部分」があることを
意識でききればそれで十分なのです。
なぜならその部分はその人の気持の中でも一番大切な所だからです。
簡単に言葉にするのが難しいどころか
言葉にできないほど複雑で重たく大切なところ。
それこそがその人らしさが凝縮されている意味深いところです。
ただただその意味深いところがあるということに相手が気づいてくれた。
それだけで不思議と自分は理解してもらえたと
実感できるのではないでしょうか。
逆の場合を考えてみても同じことです。
相手にもその人らしさが凝縮されている、
言葉では表現しきれない部分がある。
それに気がついた時、相手を理解する入り口に立てるのでしょう。
お互いがそのように向かいあえたとき、価値観や考えの違いを超えた
今までにない関係性を築ける可能性が生まれます。
真にお互いを理解し合うということは、
このような関係性の上にあって初めて成り立つのではないだろうか…。
そんなことを思う今日この頃です。

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Posted on: 3月 11th, 2015 by fc-office-test No Comments